(ファイルサイズ:1094.8キロバイト) 明日、「6月29日」は佐世保空襲の日です。 昭和20(1945)年6月28日の午後11時58分、空襲の予告を知らせる「警戒警報」なしに、いきなり「空襲警報」を知らせるサイレンが断続して鳴りました。 大雨のため油断していた隙をつくかのように、「空襲警報」のサイレンが鳴り始めたころには、「モロトフのパン籠」と呼ばれた約1トンの焼夷弾が、次々と市街地に投下され、またたく間に市街地は「火の海」と化しました。 主要な建築物が戦災で焼失してしまった後の市街地は、文字通り焼け野が原となり、戦災後1ヶ月以上は、髪の毛を焼いたような匂いが漂っていたと言われています。 それでも佐世保に留まっていた住民たちは、大空襲の翌日から早速に焼け跡の整理に取り掛かったと、空襲を証言する多くの「声なきこえ」によって語り継がれています。(参考:「佐世保市史」通史編下巻) 今日の集会では、NPO法人 佐世保空襲を語り継ぐ会より 牛島 万紀子 様を講師にお招きし、戦争の悲惨さと平和の尊さを学びました。 (私は壱岐出身ですが)当時、祖父が佐世保海軍に所属していた関係で、祖母と幼少期の父は、この佐世保空襲を経験しました。生前の祖母から、佐世保空襲の話を何度も繰り返し聞かされたものです。 平和な世界を、未来につないでいきましょう。
最終更新日 [2024年6月28日]
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